曹洞宗
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当寺は、元岩手県和賀郡岩崎村に在りました。
当山六世天渓器外大和尚は、地方信徒と謀り、高山町貴族院議員永田吉右工門を開基として当浄域をト、寺号移転を出願、明治三十七年十ニ月認可を得、大本山永平寺六十四世重興勅特賜性海慈船禅師大休悟大和尚を開山に拝請し、次で明治三十八年四月旧本寺永徳寺の同意を得、大木山永平寺御直末となりました。
大正十年から昭和十九年迄、正雲寺認可僧堂高山認可禅林として、延べニ百人の安居者(修行僧)を輩出した。
当寺の延命観世音菩薩は、開山悟由禅師が羽後国に御巡錫のおり、旧家の者より、南朝の忠臣より頂いた念持佛で、我が家ニ十代に及ぶ代々中途死亡もなく何れも八十歳の長命を続けた。当家の化縁熟し終わりと、禅師様こそ観世菩薩の再来なりと、御念特御供養賜ればと、基の意を容れられた。
たまたま禅師様は、飛騨の地に御巡錫、当寺開創にあたり当山に安置され、有練の衆生の寿命長遠、諸願成就を祈念された。






